いつだって他人事なのだ、自分の身に起きるまでは。いつまでも止まないんだ、この腹の痛みが。まさかの盲腸であった。
ちょうど先週、勤めていた会社を辞めふらりと関西へ旅に出ていたのだった。京都の散策を楽しんだり、のんびり読書と料理をたしなむ平日があり、火曜には Canyonのハイエンドバイクを4人で乗り回す京都ライドを楽しんだ。
そのさなかに予兆はあった。月曜の夜からなんだか腹が痛く、でもお腹は下ってないという。火曜のライドでは登りスプリントにキレがなかったのは、借りたバイクの慣れない変速(Di2)のせいではなかった。外食で残すことなんてしないのに、どうしても昼のカツ丼を食べきることができなかったこととか。
痛む腹を抱えて水曜の朝一番で病院に駆け込み、いや走れないので遅々とした歩みで病院の自動ドアをくぐり、受付から看護師医師のみなさんみんなが京都弁なことにヘンに感心しつつも、午前いっぱいをかけた診察で虫垂炎が結構進んでいますね、すなわち盲腸ですねと言われ、早めに手術をしましょうとなったのであった。
僕の盲腸に関する知識のほとんどが、中学生の時に読んださくらももこの漫画によるもので、彼女の痛みに耐えあぐねる描写が生々しくて、自分の現在の痛みが本当に盲腸なのか自信がなかった。痛いんだけど、耐えられないほどでもなく……しかし24時間以上この痛みにさらされているとさすがにツラくなってきた。さくらももこは薬で散らしていたけれど、自分はだいぶ進行していたので即手術となったのであった。ところで結構な人が、さくらももこの話で盲腸を知ったのではないだろうか。改めて読みたくなってきた。
盲腸というと、どこか手術の定番品目みたいなところがある。命にも別状はなさそうだし、ダイジョーブダイジョーブ、ヨユーヨユー、……なんてことは一切なく、被手術の当事者になった不安が押し寄せてきて胃の痛みと同時に精神までもキリキリと蝕まれてくるようであったよ。検査段階の造影剤の使用だとか、術後のショックなどで0.04%(具体的な数字は忘れたけどとにかく低かった)の人に副作用だか亡くなることがあると聞かされて、それが他人事であればそんなのあり得ない、で一笑に付すのだろうが、いざ自分の腹が痛んでこれから刃物で刻まれようという時には、その0.04%が圧倒的なリアリティをもってのしかかってくるのであった。もしかしたらでなく自分の身に起こるかもしれない。そういった事項に同意を示すべく手術の同意書にサインするのだけれど、そもそもこの状態になってしまっては手術とそれに伴うアレコレを受け入れるしか実質の選択肢は無いわけで、0.04%もされど0.04%。低ければ低いほどに重篤な意味合いを秘める数字の怖さをうんうん唸りながら思っていた。
手術自体は言われていた通り、麻酔をされるまでと、病室に戻ってからの記憶しかなく完全に意識の外にあって何も覚えてない。しかし術後の夜がまぁ辛いこと。痛みと体から出てるチューブの違和感と酸素マスクと脈拍数?で20秒毎にアラート音を鳴らす機器のお陰で一睡もできず、そして寝返りを打てないことがひたすらにしんどかった…。世の怪我や病気と闘う人と比べたら大したことない辛さだとは思うのだけれど、人間とは弱いもので、いま現実に引き受けている辛さそれ以上のものを持ち出すことができない。少なくとも自分にとってのリアリティとは深夜の病室の布団の中にしかないのであった。
ただ、そんな最中にひとつだけ違うことを考えていた。ランス・アームストロングがツールで7回勝利していた期間、それは確実に闘病に生きる人たちの励みになっただろうなと。彼の選択の是非はともかく、少なくともこのベッドから起き上がり、自転車にまたがって再びツールドフランスを走った男がいたという事実は、こんな極東の古都の病床で苦悶を耐える男を救っていた。
体に刃物が入るというのは想像以上に負担がかかることのようで、びっくりするくらい動けず歩けない翌朝。映画とかで刺されても平然としてられるのってファンタジー。半日経って、リハビリだから100mを歩いてと言われたものの、院内の曲がり角までの毎mがあまりに長くて吐き気がしたよ。部屋で臥せっている時には、部屋の前を歩く人々、おそらくは医師看護師、お見舞いの方々であろうが、その生命感のある足音を羨ましく思うのだった。
いかんせん塞ぎがちな病棟での生活も、一昨日に一緒に走った2人が見舞いに来てくれて本当に気が紛れました。笑うと腹の傷が痛む辛さはあったけれど、開口一番の「なんで京都で盲腸になってんの!?(笑)」的なトーンの、この(笑)が結構ポジティブで、こういう笑い飛ばせる感じを持ちこんでもらえるのがありがたい。
あと、小学生の時に猛烈にハマったMOTHER2というゲームを借りていて、ひさびさに遊んでいい気晴らしになった。時間がある時にのんびりやるには最高のゲーム。退院してもやってしまいそう。ぽえーん。
そんなこんなで久々の固形食を食べた入院3日目、夜になって点滴も外れこんな文章を眠れないままに書くのでありました。前日までロードバイクで50km/hの巡航を楽しんでいたのに、たった一日で病床に臥す突然さとか、当たり前だけど健康の偉大さとか、壁に掛けられたアナログ時計の長針がちょっと行き過ぎて戻ったりを頻繁にしているアバウトさとか、そういう普段感じないようなことを感じる機会だったということで、これも一つの経験、よきかな。
あと、入院って独り者にはかなりハードルが高いものだな。手術までの意思決定にも同伴者が必要だし、入院することになっても着るものやら必要なものを病身で準備、整頓するのはほぼ無理。今回はしっかり者の彼女が側にいてくれて本当に助かった。単純に身を本気で案じてくれる誰かがいてくれるということが、こんなにも心強いものなのだと知るのだった。ああ、なんか人間的なまとめ方。でも病身だと、自分を作る成分の90%までもが身の回りへの感謝になったよう。
いろんなことを考えたり、逆に考えなかったりできる貴重な時間は、この時期の神様のプレゼントだったのかもしれない。メルシー神様。