シング・シング・シング 内蒙古自治区訪問記 <下>

シング・シング・シング 内蒙古自治区訪問記 <中>の続き

あの頃の未来というものは、いつだって今この瞬間を指している言葉なのだった。

安普請の、しかし親しみのあるベッドから起き上がると、底冷えする朝が来ていた。今日は、フスリトの晴れの日。窓の外も晴れていた。ウリラガさんがやってきて、朝食を食べに行きましょう、と。羊、チーズ、ヨーグルト、ミルクティー。2日目の朝食も、同じメニュー。この時に隣に座っていたのがギゲリルさんで、やはり彼も長いこと日本にいたのだという。奥さんは茨城のつくばにいるということで、またほどなくして日本に戻るんだ、とも。流暢な日本語と、垢抜けた服装。日本にいたら、外国人だとは思わないだろう、と思った。ここではミルクティーにチーズを浸して食べるやり方を覚える。なるほどチーズもまろやかに、お茶もコクが出てくる。じんわり、ぽつりと脂膜が茶色いお茶の表面に浮かぶ。

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朝食を終えると、フスリトの住居へ連れて行ってくれるという。ほどなくして彼のマンションに着くと、前の広場には包(ゲル)が建てられ、彼の家にはおめかしをした一族が朝食をとっていた。昨夜みた若い女の子たちも、きゃっきゃとはしゃぎながらこの朝を喜んでいる。当然ながら、室内はばたばたと慌ただしい。そんな中でも歓待の志は強く、今度は朝食を振舞っていただいたのだった。メニューは羊である。それにしても、内モンゴルに来てから羊を食べて茶を飲んでばかりいる。

結婚式場は、昨夜中華料理をいただいたホテルの宴会場。なるほど昨夜より、多くの卓に料理が載せられ、みるからに豪傑そうな男どもがそこかしこでもう飲み始めている。昨夜の卓の会話で、モンゴル人は酒席あるいは祝いの席では歌を披露するのだと聞いた。そして奥さんの親戚である何人もの年頃の女の子たちは、明らかに日本の歌を聞きたがっていたのだった。

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みなどこか似ていながら、それぞれに違う顔をしている親族の5〜6人の女の子たちと握手をして名前を名乗りあったが、聞く端から忘れてしまった。はにかむ笑顔が蒼井優に似た、素敵な娘の名前さえも。奥さんがその娘を指して「この子とあとあの子は彼氏募集中なのよ」と日本語で言うと、なんとなく意味を察したのか二人ははにかんだものの、赤面まではしなかった。「昔だったら恥ずかしい、って言って赤くなったと思うけど、さすがにみんな大人になったのね」と今日嫁ぐ奥さん。彼女たちはどんな恋に落ち、どんな恋に破れてきたのか。民族という宿命に、ある時は抗ってまで得ようとする恋があったのかもしれぬ。にこにこと柔和な笑顔(それも人を幸せにするような類の)を見ている限り、異邦人である僕にはただ幸福さという言葉が指すところのものしか想像できない。

そんなわけで、「明日は歌をうたうよ」と高らかに宣言をしてこの日を迎えたのだった。

式の始まりは厳かに。今日はさすがに民族服を着ている人が多い。昨夜の2人も綺麗な赤い服を着ていた。出身の地域によって民族服の形状や織りが違うらしい。フスさんの一族が着るのは綴じ方のシンプルなもので、奥さんの親族は複雑に入り組んだ作りになっている。

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卓の中央に鎮座する草原王越しには、歌手が歌をうたいまくっている。ほどなくして、新郎新婦が登場。しかし日本のように挨拶はなく、二人は各テーブルへお酒を注ぎに周り始めた。ふとざわっ、としたかと思うと大きな拍手が沸き起こる。会場のすべての視線がこちらに注がれている。どうやら司会の人が、「今日はなんと遠く日本からゲストが来てくれました。日本の歌をうたってくれるそうです。どうぞ!」と言ったらしかった。モンゴル語はわからないけど、90%はあっているはずだ。

「ジャー、バイエルホルギー、クシュリト」

壇上で、教わったせめてものモンゴル語で、フスさんへの祝意を伝える。音痴でカラオケも年に一度しか行かない僕が、まさか内モンゴルの街の片隅で、人前で歌を、それもアカペラでうたうなんて。人生なにがどうなるかはわからない。でも、お金でも贈物でもなく、自らの身体器官だけで祝意を伝えられるなんて、根源的な人と人のコミュニケーション。見栄と建前を織り交ぜたご祝儀文化とは違う。式を終えて、開封する際に一抹の疚しさを感じはしないだろうか?心を込めるのは歌であって、心に付けるのは金なのだった。

さて壇上から聴こえてくるのは。

♪あれから 僕たちは 何かを信じてこれたかな……

後にも先にも、上都でSMAPを歌ったのはこの僕だけであろう。そうでなければ、ぜひトライしていただきたい(そしてそのことを教えてほしい)。

♪あの頃の 未来に 僕らは立っているのかな……

あの頃の未来では、少なくとも内蒙古の片隅で唄う自分はいなかった。異国の宴席の壇上でひととき、人生の不思議を感じる。あの頃の未来というものは、いつだって今この瞬間を指している言葉なのだった。

羊をめぐる冒険となるはずが、まさか歌をうたうシング・シング・シングとなるとはね。

テーブルに戻ると、フスさん夫妻がサーリィエイヒという馬乳酒を注ぎに来るところだった。透明な酒は味こそないものの、口に含むや否や、草原のいきれ、あるいは獣の強い匂いが鼻を衝く。どこまでも青いモンゴルの夏、立ち並ぶゲル。目に浮かんでくる。鼻の奥でも感じている。

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幾つかの歌が繰り返され(それはいかにも民族音楽、といったものからアップビートなポピュラー音楽まで多岐に渡った)、式は写真撮影を経てお開きとなった。

嫁ぐ娘を祝い悲しむ親の姿はどこも変わらない。娘が最も美しいその日が自らと袂を別つ日であるという、婚姻制度の開始より全世界で繰り返されてきた事実。娘を託す相手に父が手を握る強さもまた、変わらない。そしてがしっ、と音がするように父は新郎を抱く。

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ボディコンタクト。モンゴル相撲の例を挙げるまでもなく、体同士の接触が多いことに気づかされる。仲のよい者同士は、酒を飲みながら自然と組み合うし、一度握手をすると握っている時間が長くなかなか離さない。どうにも欧米の「手の内を明かす」銃はないことを示すような形式的な握手と、親密さをもって相手を受け入れようとするこの握手とは起源が異なるような気がするが、実のところはどうであろうか。

そしてモンゴルの人々の体と体の関わりで重要な部位となるのが指であると思われる。これまですべての食卓では、羊肉の塊を素手でつかみ切り分け、指でつまんだまま客人に差し出してくれた。すべからく黒く、太い指に挟まれた羊肉はやはり黒っぽく、指から続いているようにも見える。羊を食べているというより、差し出した体の一部を食べているような気持ちになる。共同体精神の色濃い遊牧の民は、こうした仮のカニバリズムを経てその結びつきを強めているのではないか。

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酔った頭で上都の街をぶらつく午後を過ごして、夜はみんなでモンゴル料理のレストランへ。昼間まとっていたきらびやかな民族衣装を脱ぎ普段着姿になった彼らは、当然のことだけれどどこにでもいる普通の若者だった。結婚式の始まりを歌い上げた歌手の女性もいて(歌いだすまで彼女とわからなかった)、賑やかにわいわいと羊肉をつついた。薄明かりの店内で、やはり「草原王」と対峙しているうち意識はどこかへ飛んでしまった。僕は草原の王にはとうていなれなかったのだった。

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翌朝、酔いに痛む頭を抱えながら起きて、デジタルカメラを覗くと、誰かが撮ったのだろう昨夜の様子が何十枚と記録されていた。そこには酔った僕が、得意の(?)ムーンウォークらしき踊りを喜色満面に披露していたという事実があった。あちゃー……。羊をめぐり、歌をうたった旅は、羽田空港で求めた一冊のままに終わったのだった。

ダンス・ダンス・ダンス。

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