(前編からの続き)
僕の中でトスカーナ地方というのは、すごくイタリアらしい地域だと感じる。20歳の春に、初めてイタリアを訪れた際に長く滞在したのがフィレンツェだったからかもしれないし、ボッティチェルリの「春」がイタリアの絵画のうちで2番目に好きな絵だからかもしれないし、当時はルネサンス絵画についてよく勉強をしていたからかもしれない。
初めてイタリアを訪れた旅は、ローマから入り、フィレンツェ、そしてミラノからサンレモを経て(もちろん3月のあのレースを観て)フランスへと抜けたのだったが、古墳の中を歩いているようなローマと、東京のような近代感あふれるミラノとの、そのちょうど中間にあるようなフィレンツェを、イタリアの中庸としてみていたような気もする。
前日、シエナの街をそぞろ歩いて、ここもまた過去が今日まで見える形で息づいている歴史の街だと気付かされた。今日は、城塞に囲まれたこの街の外へ出る、自転車で。
朝、辻啓のアパートには見たことのある顔。かつてはコーステープの内側に見たことのある小柄な女性は、MTB XCOの元全日本チャンピオンとして君臨した小田嶋梨絵さんだった。僕が高校生の時分、クロスカントリー女子レースを支配していた女王は、今はUCIの指導者養成プログラムの過程で、イタリアにおられるのだという。そして、これは後で思い出したのだけど、梨絵さんは野辺山シクロクロスの第一回大会の優勝者でもあった。
そんな豪華ライダーを迎え、ライドに出発する。天気のよい一日、今日はストラーデ・ビアンケ、すなわち、「白い道」を走る。当然のことながら、梨絵さんを交えた僕たち3名はいいペースで走って行くことになる。
シエナの街が終わることを示す看板を通り過ぎる頃には、すっかり空は広く、周りはトスカーナらしい丘陵地帯になっている。本当にヨーロッパの街は、境界がはっきりしている。そしてこの赤い斜線の、街が終わる表記がなんだか好きなのだよね。そしてモンタルチーノの街へと入って行く。
ここは2010年のジロで、雨に見舞われた白い道で泥にまみれたアルカンシェルのカデル・エヴァンスが印象的な勝利をあげた街である。そしてシエナと同じく、小高い丘の上に街が作られている。小さな、可愛らしい街だ。日本でもそのワインが名高いモンタルチーノであるが、この地域に特有の郷土料理「ピチ」があることを啓兄に教えてもらい、早速食すことにする。うどんパスタ、なる紹介を大阪人からされたが言いえて妙。しかしトマトソースのこのご当地パスタは、イタリアのどのパスタがそうであるように美味なのであった。

高台にある街を出るには、当然下らねばならない。そしてこの二人、下りが速い。梨絵さんはもちろんのこと、イタリアの走り方を知っている啓兄もびゅんびゅんと下って行く。ヨーロッパの下り坂ってなんでかすぐにスピードが出る気がする。空が広すぎて勾配の感覚がマヒしているのか、アスファルトの摩擦係数が低いのか……なんでなんだろ。そうやって走っていると、日本の道とヨーロッパの道ではそれぞれに適したタイヤがありそうだ、なんて話にもなってくる。
時折目に入る『L’Eroica』の看板。グラベルライドイベントとしてこの頃認知度を広げているエロイカ、あるいはかつてモンテパスキ・エロイカと呼ばれていたストラーデ・ビアンケを意味するこの看板が、「白い道」を行き先に示していることは疑いえない。まもなく、啓兄が「いよいよ」と言うと、グラベルロードが始まった。
白い。
そして、登るか下るかしかない。

白い道は湾曲しつつ、トスカーナの丘陵地帯を伸びて行く。当然アップダウンも激しい。とはいえ、上りの勾配はそうキツくはなく、実際に走ってみるといい感じに踏んでいける。そしてちゃんとサドルに座っていればグリップもするので、不安はない。下りはまた適度にスピードが出るので、最高に気持ちのよく登りと下りをつないでいける。これがグラベルでできるのだから、そんな愉快なことはない。
それにしても、当たり前なのだけど、梨絵さんの下りが速い。オフロードになってまるで水を得た魚、砂利を得た小田嶋、後輪を滑らせながらコーナーを曲がって行く。さすが。
この日は晴れと薄曇りを繰り返す天気だったから気づくことはなかったけれど、確かに雨が降ったら滑りそうな路面ではある。ジロでもストラーデ・ビアンケでも、あんまりすっきりと晴れたレースを見た記憶がないけれど、太陽を直接浴びたらさぞこの道は白く輝くことだろう。
「カンチェラーラが独走したのがここ」と啓兄が言う。ここは最大勾配16%の白い道の激坂。ところどころ、こういう激しい箇所もある。そして実際に走って見てわかったのは、「白い道」は地元住民の生活道路であり、今も生きた道であるということ。クラシックレースで用いられる未舗装路と聞くとなんだか時代に置いていかれた歴史の通り道のような気がするけれど、ストラーデ・ビアンケだってまだ20年そこそこのレースなのであった。それなりの頻度で、白い道に白い砂煙を捲きあげて、フィアットがすれ違って行く。
ゴールはもちろん、シエナの街だ。つまりは、ストラーデ・ビアンケのゴールシーンにあるあの坂をのぼらなければならない。白い激坂を越え、街への登り口まで快調に走った我々は、クラシック・レーサーのものである英雄気分を気取りつつも、シエナのカンポ広場へ至る上り坂をいいペースで踏んで行く。後年、シクロクロスの世界チャンピオンがそこで足をつくことになるなんてことは、知る由もなく。
到着したカンポ広場には、パリオに沸く人々がごった返していたが、白い砂埃にまみれた我々にはどう見ても、世界で一番美しい広場なのであった。シエナよ、とこしえなれ。

***
この日の翌日も、啓兄に導かれ、シエナ近辺のショートライドを楽しんだ。学生時代にこの地に住んでいたという以上に、この人はサイクリストのツボを押さえたルートを熟知している。自転車の素晴らしさを伝えるためにフォトグラファーをやっているが、その手段は写真だけではないと思ってる、という彼の言葉も、まんざら嘘ではなさそう。不定期にイタリアにてライドツアーをしているので、もしこの地をバイクで走りたいと思っている人がいるなら、ぜひコンタクトをとってみては。100%素晴らしい旅になることを保証する。
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