あの言葉は今もまだ

転職をして住まいを変えて、環境ががらりと変わったいま、いろいろと思うところも書きたいこともあるはずなのだけれど、特になにか劇的なことがあるわけでもなく、そして生きている実感の無い時に特有の涙もろさが先行して雨の休日を過ごしている。

むしろいま、「そして」と書こうとして変換候補に「ソシエテ諸島」て出てきたことがこの3日の中でも一番キャッチーな出来事だったかもしれない。いい名前だし、その命名の背景に迫りたくもなるけれど、一体日本語で、macで文章を書いているひとで、ソシエテ諸島を書く必要に迫られるひとは一体どれくらいいるのだろう。

引っ越し後のインターネットのない生活の真っ只中で、すぐに調べることもできないのが、またいい。そしてそんな生活だからか、引っ越しのために本をぶち込んできたダンボールから、しばらく読んでいない一冊を手に取る。

川上未映子の「オモロマンティック・ボム!」の『燃やして、お手紙』という一節。笑いながら読んではみたものの、これまで書いた手紙のことなどを思い出す。そのいくつかは、川上未映子のそれがそうであるようにもう燃やされてしまっているかな。短い在仏時代にはそれなりに手紙を書いてみたりしたものだけど、いざ手書きで言葉を綴ってみると思うように書けないことにぶつかる。それでもなんとか書き進めていってできた言葉は、自分の言葉であるような、どこか人工的でもあるような不思議な感じのするものだった。変に格好つけようとして破綻しているという意味では、まさしく自分の分身であることは疑いようもなく。

そんなに手紙をもらったことのない人生(かろうじて、クラスの女子に人気のある男の子はラブレターなどを下駄箱に見つける経験もできた世代ではあるが、言うまでもなくそれは自分とは無縁の世界の出来事なのであった)にあって、古い手紙を見つけるということは先の引っ越しでもただ一度だけで、それは紛うことなき友情の交歓と交感であった。筆を走らせる喜びがあったことをふと思い出す。

まさかガラケーなんて呼称がつくなんて思いもせず、その時代には鷹揚に最新の棚に並んでいたスタイリッシュな(それは今見てもある種のスタイリッシュさを保持している)古い携帯電話の電源を試しに入れてみると、そこには往時の自分が綴った文章と友人、あるいは恋人の言葉が残っている。現代のお手紙は、電気のあるところにいつでも命の灯火が宿る。見返してみると、案外にその内容も覚えていて、あの頃はたかが数インチの液晶画面(いくつかの前時代のものは色すらない)が人生のほとんどだった。明日にはまた教室で嫌でも顔を会わせるというのに、なにをこんなに毎日のようにメールしていたのか。

大したことじゃなくても、伝えたいと思うこと。伝えたいと思うひとがいたこと。幸せな時代。

ちょっと開いてみると、「TRICK」 というドラマが好きな友人に宛てて、新シリーズのオープニングでパカッと開く卵の黄身の色が前シーズンと違うことを嬉々と語り盛り上がっていた。幸せな時代。しかし黄色く無い黄身はそれでもやはり黄身と言っていいのかしら。

本当は、『みんなに名前はあるけれど』という一節で思いあたるフシがあって書こうと思い立ったのに、結局全然違うことを書いてしまった。たぶん昼に、ジム・ジャームッシュの「ブロークン・フラワーズ」という映画を見てしまったからだろう。冒頭の手紙が運ばれるくだり。手紙ってあんな風に運ばれているのかぁと思い、携帯電話(繰り返すがそれはまだガラケーと呼ばれる前の代物)のEメールの送信画面のアニメーションが、手紙を降りたたんだ紙飛行機が飛んでいくものだったことを思い出した。

いつかソシエテ諸島のどこかへ手紙を書いてみたい。Eメールではなく、エアメールで。